Endless Recursion
仮に、永遠を定義するとき、
再帰という考え方が有効だと思う。
親子関係で言えば、子がその子どもに、何をどういう判断基準で伝えるか、
それを親として、子に伝えることができれば、
その子の生きる時代のコンテキストに合わせて判断し、
自分の考え方を永遠に引き継いでいけるものと考える。
Cause of Cinderella
「居眠りの原因って何かわかる?
「うーん
「寝不足だってさ
「言われてみれば
「その通りだよね
「てか、なんでそれをなぜわざわざ言ったし
「うん、プロジェクトでさ、日中うとうとしながら、だらだらと仕事して、結果成果があがらず残業してさ、また次の日もその繰り返し
「そうだね、火が吹いてたら仕方ないんじゃないかな。早く火消しして良いサイクルに戻そうとしているんだし
「そう、まさにその順番を逆にできないかな
「逆?
「うん、まずさっさと帰る
「帰る。難しそー
「で、次の日にフレッシュな状態で仕事を時間内に仕上げる。あとはこの繰り返しでハッピーになれる
「理想はね。時間内に仕上がるわけないよ
「そこだね。だけどそうだとしたら、圧倒的に技術、知識が不足している警告だと思う
「うん、まあ、そうだろうね
「この場合も、帰るかどうか別にして、業務を終了して、勉強会なり、技術を磨くか、知識を蓄えることに時間を使うべきだと思う
「それでフレッシュになる?
「良い問い掛け。これでフレッシュしないならもう向いていないのかも
「あちゃー、まあ、そうね
Good parts
自分が感覚的、経験的に良いと感じているものがある。
また逆に悪いと思うものがある。
それを一々説明しないといけないかと思うと絶望する。
当然の如く、説明しても伝わらなく、それは受け手だけの責任ではなく、自分自身のプレゼンテーション能力の低さの表れでもあると思い、その点に関しては深く推考すべき議題だと思う。
ただ、こういったことは発見的であり、自発的に気づかないと身につかないとも実感している。
とはいえ、そこで絶望したからといっておしまいではなく、
仮に相手に響かなくても、最低限、自分自身を納得させる言葉を持ち、そして磨いていくべきだと思う。
これはまだ、実現していないが、
言葉なしに同志に巡り会うこともまたないと思う。
まずは書け!
それを続けていこうと思う。
Blocking Redmine
Redmine 導入を阻んでいるものがある。
ちゃんとタスク管理できるなら Redmine でなくても良い。
例えば、 Excel でタスク管理していて、それで十分に回っているなら良いけれど、そうでないことが多い。これは自分やそれを取り巻く人たちの Excel 力が単に低いというだけかもしれない。
Excel の何がいけないかといったら全部だけれど、きちんと書式や運用ルールが決められ、それを守るのが容易なら問題は表面化しなさそうだ。ただそれをやるのは現実的とは思えなくて、 Redmine だとそれらが全て解決する、かというとそうでもない。
では、どちらを使っても変わらないではないか。
ポイントは意識の置き方だと思う。
自分にとって、タスクを楽に管理できるのは Excel と比較すると Redmine だ。別の人にとって、それが逆ならそのままで良いと思う。問題は、楽する方法があるのに、現状維持を優先して改善の機会を先送りにする姿勢だと考える。
何か新しいものを阻むものは、現状維持を優先し、新しいやり方を取り入れない姿勢にあり、その状態は、近い未来で現状維持を破綻させるには十分な条件だと思う。
Kachi kan
価値とは何だろう?
価値とは、誰かにとって有益なもの。お金を支払って得たいもの。
これをもっとシビアに考えないと、と痛感している。
そう、本当に痛みを帯びている。
価値のないものを一所懸命開発しても驚くほどに危険な状態となる。当たり前な話ではあるが、会社としては、そういったメンバーに対して対価は支払えない。会社の側に価値のあるものが生み出されないからだ。
これはどうしたら良いか。
その答えを皆求めて知恵を絞っているのだから正解というものはなさそうだ。
ただ、振りかってみると、日々の意思決定の甘さの繰り返しは価値を高めることに貢献しているとは到底思えない。本当にちょっとした依頼ごとに対して、これを急ぎで、今やる必要があるのか、妥当な内容なのか、一担当レベルで考えないと、価値のあるものは作れないのではないかと感じている。
これをすると作業の速度は遅くなるのではと懸念されるだろう。
しかし、やっぱやらなくて良かったです。元に戻してください。そう言った依頼があることを考えると着手する前に問うことは全体としての速度向上はするものと考えて良さそうだと思っている。
Zangyo die
残業代がないという記事を見て共感した。
自分も残業代とは無縁の働き方をしている。
これは会社単位、もしくは最小でもチーム単位でやらないと却って良くないのだろうなと思った。
残業代のデメリットとしては、時間がかかるならやらないという判断がしにくくなる。
どんなに時間をかけてでも実現すべきことはある。
あるけれど、そう言ったものの優先順位は低く設定するべきだ。
なぜなら、それにつられて、例えば、新規サービスを考えている場合、いつまでもリリースができない、ということになる。
だから、チームの意識として、時間がかかる、ということにシビアに考えることができるかが、日々の意思決定に一貫性を持たせ、進む方向が揃うのではと感じる。
残業という言葉自体がもやっとする。
一日にどれだけのリソースを割り当てそこからはみ出したものだとしよう。
もちろん、様々なトラブルがあって、はみ出すことはあり、緊急の内容であれば対応するべきだ。ただし、それが常態化している場合、リソースの割り当て方、トラブル対応のスキーム、そもそもの品質について問題を抱えているというサインなので、残業とは別で、これこそ議論して改善をしていく必要があるだろう。
Remote blog
Remote ではない blog はあるかな
文章を書いてそれが瞬時に世界中で閲覧可能になるのはすごいことだ。
誰かに言葉を伝えたい人の目の前に行き、文章を書き、その人に読んでもらう。
古き歌の世界がそうだったのかな。
どうだろうか。言葉は元々、跳躍力に優れている。空間も時間も悠々と越えていく。
それ故 Remote と非常に相性が良い。
Remote ではない blog となると、
blog server に直接ディスプレイをつないでターミナルで blog を書いている。
ものすごく鬼気迫る状況なのだろう。
とても価値の高い行為に思える。
ダイイングメッセージかもしれない。
このダイイングメッセージは死語かもしれない。まさに。